古事記新学説へご招待

古事記旧学説は何が問題か

 日本の尊厳である国家誕生の物語は、世界最古の公的文献古事記、また日本書紀の「神代編」に記述されています。明治以降国家を脅威的に発展させた原動力は明治天皇と国学でありました。しかし敗戦後は国家観への反動が強くなり、国学者でさえ記紀の日本誕生の神代の巻は、架空の物語、神々は伝説上の過去の人物の神格化などと解釈し、神宮では御伽噺のマンガ本まで販売している状態です。こうして国学の土台が大きく揺らぎ、記紀神代の巻を御伽噺までに低下させ、祖先崇拝を崩壊させた原因は何かと追求する時、全て国学者が旧学説の論文、出版本にある事が鮮明になります。ここではその原因と対策を進めて行きます。

1、旧学説の潮流

 古事記は日本最古の公的文書で、発刊されたのは、今から1,310年前である。江戸時代の国学者本居宣長翁が人生の約30年掛けたと言われる苦労で「古事記傳」を著したことにより、欽明天皇時代以降の仏教中心国家より脱却し、日本の真の姿を探求する大きな原動力をなしてきた。多くの国学者により解説本、著作物が著わされ、この考え方が国学者や神道家の本流となり神道の発展にも寄与しました。しかし戦後は教育が一変、反日思想も加わったために「古事記傳」の章句の解釈があからさまになり、非科学的や現実乖離の話、不可解事項から御伽噺となり、漫画化される一方、反日教育が進んで記紀に登場する皇祖の尊厳や、神社祭神を否定する反日思想や宗教に侵略されつつあります。
 神職を養成する國學院大學、皇學館大學では記紀に登場する皇祖神霊や霊魂の問題は禁句であり、全国神社を統括する神社本庁は、記紀に登場する御祭神の神霊問題や霊魂の研究はご法度で、熱心で影響力ある宮司は資格剥奪が現実である。一方記紀に登場する神々を御祭神とする神社では、伝統ある社であり、情念の世界を表すものでも、それがお伽噺の神、文学書、古典上の架空の神であろうと、現場では社を守ることが精一杯の現状である。
國學院大學、皇學館大學の国学教授たちは無神論とも言える古い学説を死守し、旧態依然として危機を感じないために、神社のみならず国家をも衰退させているのです。そこで「道ひらき学術会」が主導する古事記神代編の新学説を詳しく調べてみましょう。

2、新学説は国家救済の力となる

 荒深道斉先生が記紀、上記、祝詞集等々の古典及び天文学、生命学、地球学、地質学、科学等研鑚を加えて『新編古事記真講』『太古哲学古事記正解』『総合古事記純正講本』等を著されましたが、当時は神武天皇以前の天皇論及び国史匡済の著述が当局により制限されていました。戦後これが自由となり、著された幾多の書籍を従え、新たに日立道根彦先生により、一段と古事記解釈を啓発一新され、古事記は天地創造の真伝であると宣言、『日本神話の創世記』に見られる数々の絵図面と科学的解説で一層理解を高め、最も重要な神代編の訳書解読によって、古事記は実に驚異的古伝であって、宇宙創世、天体構成より、地球の凝化、生物発生及びその進化、人類出現に至る迄整然と伝えて居る世界的神典であるのが日本神話であると説かれました。この革新的新学説を学ぶことが出来るのは、唯一「道ひらき学術会」であり、之を普及する事が国体を強固にすることであり神道救済の魁であります。

3、冒頭句「天地」の解釈が根本的価値を決す

 古事記は冒頭次の文から始まります。
天地初めて發けし時、高天原に成れる神の御名は天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、此の三柱の神は並獨神と成り坐して身を隠し給ひき。(岩波書店・古事記、倉野憲司校注)
この冒頭の句の解釈が正しければ世界に誇る神典となり、最初を間違えば御伽噺になります。この重大な指摘をする国学者は過去も現在も誰一人いない。唯一荒深先生、日立先生の著書で知る事ができるのである。先ず「天地」のアメの解説である。新学説で説く古事記冒頭句の「天地」は、高次元の究極宇宙の生命発現から説いています。不可視光の世界で、生命が物質化する以前の「アメ」と、旧学説『古事記傳』の地球から見た上空をアメとした次元の違うアメであります。アメにも階ありと教える新学説では宇宙は生命体であると説き、宇宙創生の高次元の生命学進化論を展開されて行きます。この「宇宙は生命体である」との定義は世界最高の定義で、抽象的言葉でなく、具体的解説が展開されて行きます。別書で宇宙の呼吸を太古はアメと称し地球の呼吸をオキと言い、人間の呼吸をイキと言うと教えられる。「宇宙は呼吸をしている」「呼吸は生命の本体なり」とした天地人を貫く貫した指導理念があります。旧学説の『古事記傳』では生きた神霊の存在を認めていません。当然霊魂不在の情念の世界であるので御伽噺となります。古事記傳を教科書として多くの国学者が育ち教授となり本を出版し数多くの神職を育てて来ましたが、慢性的に古事記傳に従い是に主観を加えた書籍が氾濫しているだけである。
 新学説の体系を建てられ、目に見えない次元の「天地」を説かれた荒深道斉先生は不世出の聖人と断言出来る所以が今後数々証明されていきます。この根本的出発点の解釈を間違えないことは、これから古事記を学ぶ上で、決して躓く事なく人生の貴重な時間を浪費することもないと断言出来るのです。
 冒頭句の天地の解説で『神道基礎学』は
「アメとは、現象宇宙創造の素材である。原始天体誕生以前に無始無終、無限界でアメと称する絶対小の微粒子が充満しており、これより光素のアシカヒが産霊出されます。地球は百に近い元素の組み合せによって構成されている天体であり、地球の親なる太陽もまたその太陽を産み出したる大太陽(恒星団の中心をさす)も、更に銀河宇宙も原始天体の星雲も元素、原子の集合体でありまして、そのまた原始天体は星間物質と称される暗黒物質から形成されたものであります。その暗黒物質は、日本古典ではアシカヒと云っております。つまりアシカヒの神が創造したもので、そのアシカヒが更に凝固したものがヒコチで、ヒコチの神が創造したのがヒコチ即ち原子の元であります。ですから現象宇宙創造の素材は地球も太陽も、局部恒星系宇宙もまた銀河も星雲宇宙も誕生しない何千億年前もの太古に於て産霊出されてあったことは、神話を正解すれば理解し得られるのであります。」
とこの様に的確な新学説であります。次に日本神話の創世紀には
「天地とは地球から見た「あめつち」ではありません。無始無終無限界の高天原には究極の生命体にして絶対生命素である「ア」なる粒子が充ち満ちていたが、神皇産霊神、高皇産霊神の冷熱の動きに「ツ」集まり萌しの「メ」を成し、次にメが集中して力即ち「チ」を現してきた。即ち不可視より可視に近づいてきた事を現わす。後世に出現する地球と宇宙の関係のアメツチ(天地)とは階層の違いがあります。不可視光を図で表示すれば図の如く(アメツチ)になる。」と判りやすく説いてあります。

4、旧学説の天地

 古事記傳は次の様な読方をしており新学説とは観点が大きく違っています。
「天地初発之時、於高天原に 成 神 名」
是を精査しますと本居翁の視点が原因で組み立てられた事が判ります。なぜなら次に、
「天地は阿米都知の漢字にして天は阿米なり、かくて阿米てふ名義は未だ思ひ得ず。己れ前に思へりしは阿米都知と云ふは古語にあらじ、その故は古書どもを見るに凡て阿米に対へては必ず久爾とのみ云ひて都知とは云はず。(以下天神地祇、天社国社…等引用を省略)虚空を即ち天とするは漢籍のさだなり、天は虚空を謂ふにあらず。なほ天と虚空とは別なること。」
「地は都知なり…都知とはもと泥土の堅まりて、国土と成れるよりの名なる故に小さくも大さにも言へり、小さくはただ一撮の土をみ云ひ、又広く海に対へて陸地をも云うを、天に対へて天地と云ふときは、なほ大きにして海をもかねたり。」
として古書、姓氏録、書紀、万葉集など後世の例をあげて解説があります。ここに大きな違いが出て来ました。古事記の基本中の基本である目頭句の天地の概念はこの思考から組み立てられる解釈となる原因があるのです。

5、「初發之時」の解釈

 「旧学説」は前述の様に古事記のスタートが地球上観測の「天地」ですから、次の句「天地初発」の初発も地球上観測の出来事となります。高天原も地球上の説のため地球上空か、またある場所か、観念上の場所に限定される事は必然となります。荒深先住は『新編古事記真講』で「太安萬侶は古事記に「高下天 云阿麻下效 此」(高の下の天を訓みてアマと云う。)と訓せしも、古事記中にはタカアメと云う処と、夕カアマと云う処とは自づから別処にて、何れも天空を指して稱する言なれ共、国狹津雷による高低の差別あるに心付かず、一様にタカアマと訓ましたるは謬見である。吾国語の精神にてア音は物の新たに現わるゝ義を有して、メ音又初めの意味なれ共、アよりは後にて種の芽を発したる時を云う。
高天原は何処なりやとは古来の学者其説区々にして、天界なり地上なりと論ずると雖も、タカアメノハラは之れ宇宙と云えるに等しである。」とあります。
 最初の句の「時」を神道基礎学では次の様に読ませ順序を解説しています。「天地初発之時とあるこのは、窮極の微粒子をアメと称し、その窮極の宇宙をアメが充満している世界だから、タカアメノハラと称します。このタカアメノハラを別名アマツミスマルヌヒノオホカミとも称します。このアマツミスマルヌヒ宇宙には始まりと云うことはないのであります。なぜかと申しますと前には前があることになりまして始めがあればその始めの前はどうなっていると云うことになって限りがありません。それだから、古事記の冒頭にある天之御中主神(天之御中零雷大神)の誕生の一句「天地初発時」は、アメツチノハジメノトキと訓まずに、アメツチハジメテヒラクルトキと訓むのです。」この創世の順序は天地が開き始まる前に無始無終無限界の高天原があって、その中に天之御中零雷大神が誕生した事であります。

6、新学説の高天之原

 新学説の高天原の解釈を続けますと、『挙げて磨け八咫之鏡』では「高天原は夕カアメノハラと読むべきを古事記の編者太安万侶さえ漢籍仏典の奴隷となって居て、吾が国語の真義に暗くタカマノハラと訓まして居る。この高天の原は最も高き究極の空間と云う意味の言であるのに、これを忘れていた為めに後世を誤らした。また本居、平田両翁の解釈も、吾が古典を神秘方面のみに見て居ったから、真の見方が出来なかったのであるが、この古典に記されてある古伝説は、神霊と物質との起原及びその進化の行程を、天体説より書き下して、生命進化を物語りとして説いた一種の造物学、進化科学であるのである。高天原は、その言葉の通り高い天空と解するのが一番やさしく、一番素直な解釈であり、天降りと云えば天から下って来ることと言葉の通りに説きさえすればそれが正しいのである。」と判りやすく説いてあます。
 また日立先生は『神道基礎学』で高天之原について「潜在生命体の最高の神霊の世界をタカアメノハラと言います。即ち神霊を宿している腹であります。この腹には未だ一個の天体も発生しない、宇宙素とも云うべき極微の粒子が充満して、動かず響きなくまだ香もなく、静かに空々漠々とした、無始無終の無限界を申します。このような宇宙の時を幽の宇宙と称し、まだ天体発生後の宇宙を現の宇宙と申します。また幽の宇宙のことを天津統零霊大神と申します。

また古伝には「高天之原」と「天之原」があります。高天之原「タカアメノハラ」は諸天体発生後の宇宙であります。天之原「アマノハラ」は地球勢力圏内即ち地球の引力のおよぶ限度の成層圏であります。アメノハラとアマノハラの音義にご注意下さい。」とあります。この学説は冒頭から実に現在の国学者及び神道家の根本を揺るがす学説であります。旧学説で幾多の著書を出し、学位を取り教壇で教え、また是で教育を受け、絶対と信じ生計を立てている人にとっては許し難い説として猛反対されることは、過去の歴史でブルーノの火あぶりの処刑にも見られる程過激で改めることが難しいのです。

7古事記伝の「初發時」

 古事記傳の初発之時は「波自米能登伎と訓むべし。」とあり古書、万葉、書紀の例示をあげた上「天地乃波自米と云へる古語の拠なり。……初発をハジメテヒラクルと訓るはひがことなり。其はいはゆる開闢の意に思い混へつる物ぞ。抑も天地のひらくと云ふは、漢籍言にして此間の古語に非ず。上ツ代には戸などをこそひらくとはいへ、其余は花などもさくとのみ云ひて上ツ代にはひらくとは云はざりき。されば万葉の歌などにも天地のわかれし時とよめるはあれども、ひらけし時とよめるは一つも無きをや。」とあります。多くの古書から読み方や引用例を収集され、それに照らして推理された苦労が伺われます。しかしながら霊眼高貴な荒深先生の洞察には及びません。
次に高天原の解説では「高天原は即ち天なり。……ただ天と云ふと高天原と云ふとの差別は如何にぞと云ふに、まづ天は天ツ神の坐します御国なるが故、山川草木の類、宮殿そのほか萬の物も事も、全御孫命の所知看この御国土の如くにして、なほすぐれたる処にしあれば ……大方のありさまも、神たちの御上の萬の事も此の国土に有る事の如くになむあるを、高天ノ原としも云ふは、其の天にして有る事を語るときの称なり。」「天ノ原とも云へるが如きは神代の御典には見えぬことなり」「高とは是も天を云ふ称にてただ高き意に云へるはいささか異なり。然れば此の高は体言なり」「……かかれば天をも天ノ原とは云ふなり。高てふ言を添へて高天之原とは此の国土より云ふことなり。」とあり、高、天、原のそれぞれの意味を吾が国の古典の数々を引用されるも後々の人世の事象を以ての解説であったのです。(中略)

8、文頭を補完する天啓の名文

 太安麻呂の編纂上の誤りと、それに基づく古事記傳の誤りを補うものとして「新編古事記真講」の冒頭には次の様にあります。
高天原は限りなく廣くして間隙なく靈満てり。靈は静かにをさまりある時と動き走る時とあり。其静かなる時を天津統神呂岐零靈と云ひ、動きの時を天津統神呂美零雷と云ふ。天地開くる初めに零靈動き初めて靈芽を化し、其靈芽次々に他の零靈を誘ひ動きて大なる靈凝身を成す、之れ天之御中零雷なり。(道)
 新学説はこの天啓の名文賜りてこそ、国学者の頑な旧学説を改革なし、学究の心を一層深めていく力をもってる。日本神話に伝える創世紀は「零靈動き初めて靈芽を化し、其靈芽次々に他の零靈を誘ひ動きて」の一文が人智で計り知れない極年の静動の時間の繰り返しにより靈凝身が産霊出される事を啓示されている。掲示図を使用し天之御中零雷宇宙を図示して、「天地初発之時」から順次進化の時系列を解き明かす宇宙進化の哲理である。この古事記の新学説は『総合古事記純正講本』を学び『日本神話の創世記』に絵図面を駆使して説いてあるので併研し、詳しくは『新編古事記真講』を精査し用語は大切ですから『古事記百科辞典』で確認できれば新学説の偉大さを掌握できます。
なお現代学者佐藤勝彦氏等の提唱するビッグバーン説の瞬間爆発膨張論とは違う宇宙の創世紀である事も学び、古事記冒頭文の解釈が、我が日本人として誇るべき神霊観、創世論、国家観、人生観に発展するの肇国の、垂要な根本事項である事を会得して頂けば幸いである。

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